油小路の変跡


JR京都駅から歩いて15分程度。
不動堂村、西本願寺からも近く、本光寺を真直ぐ北へ向かって歩けば。
油小路の辻にぶつかります。
 




慶応3年(1867年)11月18日、御陵衛士殲滅を計画した新選組が、
伊東甲子太郎を殺害した後、その亡骸をこの油小路七条の辻まで運び、放置。
御陵衛士屯所まで使いを走らせ、伊東の亡骸を囮に、御陵衛士をおびき出したのです。
激しい闘争の末、かつては同志であった藤堂平助、
毛内有之助、服部武雄の3人が命を落とします。
しかし、他の衛士は、逃走に成功。
後にその恨みから、新選組局長近藤勇の命を狙うようになるのです。


(2006年9月1日UP)
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